「師匠、先輩方が大事にしてきた噺と心意気を”いいカタチ”で受け継ぎ、毎日どこかで高座に上がっている落語家をめざしています」

二ツ目に上がったとき、頭でっかちな僕は(今でもですが)得意げに、プロフィールのコメントを書いた。

こんなことを書くのは本当に畏れ多いけれど。

師匠、先輩方が大事にしてきた噺と心意気を”いいカタチ”で受け継ぎ…

こう在りたい。

同じ楽屋の中で、同じ春風亭の一門の中で、ほんのひと時を共にさせていただき、ひと際、具体的に見えている大きな山が小柳枝師匠でした。

芸の話なんかしたら「50年早い」と叱られるので、とても書けませんが。

そよ風が吹いてページがぱらぱらとめくれるように噺がすいすいと運ばれていく。聞いているだけで、散らかっていた心がストンストンと整っていく。お母さんの針仕事のように、噺の中の人たちの気分が途切れることなく、スーッと通っていく。すっかり気持ち良くなって、ああ、今日という日は良かったなあ、という。

師匠、先輩方が大事にしてきた噺と心意気を”いいカタチ”で受け継ぎ…

こんなことを書いておきながら、

未だふもとにもたどり着けずウロウロしている。

恥ずかしい気持ちでいっぱいです。

偽物と言われてもいい。どこかひとかけらだけでもいい。

師匠、先輩方が大事にしてきた噺と心意気を”いいカタチ”で受け継ぎたい。

「いい時代だったね、いい師匠だったね」

そんな思い出の師匠にしない。

今はそう書くしかありません。