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静岡・伊豆市《百笑の湯》

新横浜駅に11時半過ぎに到着。明日辺りからお盆休みでJR東海の新幹線構内はすでに帰省のお客で混雑ぎみの中、正午すぎの「こだま」に乗車しました。師匠はすでに東京駅から乗っており、師匠の姿を見つけて、「おはようございます、お言葉に甘えまして途中乗車で申し訳ありません」と挨拶して隣に着席すると、明らかに夢うつつの師匠は、おはよう、眠いんで寝ていく、と返事するとすぐに寝てしまって、三島駅までそのままの状態でした。

三島駅で新幹線を降りて伊豆箱根鉄道に乗換えます。どん詰まりの地平ホームには電車が2本停まっており、左の車両がじきに発車というタイミングでしたが、師匠は右の車両を向いて「んー、こっちの電車に乗ると、ちょうど送迎の時間にぴったり」と言いながら乗り込みました。こういう、何かを選ぶ瞬間の師匠はとても真剣です。それが些細なことであればあるほど。

車内では寄席の近況や先日のお弔いのことなどを話しているうちに大仁駅に到着しました。改札をくぐると咽るような暑さ。「暑いね」と師匠は言いながら、送迎のワゴンに乗り込みました。師匠は「(送迎)お願いします。暑いですねぇ」「ここら辺も37℃を超えたみたいですよ」などと会話している。今日がこの夏一番の暑さのようです。さっき新幹線の電光板のニュースで、「この暑さは12日ごろまで続く見込み」と流れてきた旨を話すと、師匠は「そうか、二日目あたりまで続くか」と、次の8月中席に池袋演芸場昼席のトリを務めることもあり、少し気にしているようでした。

百笑の湯に到着すると、玄関で靴を脱いで、いつも楽屋に使っている個室に通されます。部屋で一息つくと、温泉に併設されているレストランのお食事をいただくのですが、メニューを決めながら落語会担当のお姉さんと30分以上も雑談をする師匠。師匠もお姉さんもお喋り大好き。3時開演なのですが、40分過ぎにラーメンを食べ始めて、急いで着物に着替えると、もう開演時間でした。

一.『子ほめ』鯉丸
一.『佃祭』鯉昇

私は近ごろ覚え直した『子ほめ』。お客席はいつものご常連と思しき方もお運びくださっていました。師匠は『佃祭』、細部をまたちょっと工夫していました。

終演後、着替え終わった頃に「有難うございました!」と入ってきた担当のお姉さんとひとしきり雑談したあと、師匠とお湯をお借りしましたが、やはり休日前とあって流行っていました。こちら百笑の湯は風呂桶が回し使いでなく、綺麗に洗浄したものを積んでおいてくれるので清潔感があります。

お湯から上がると、館内着のまま、師匠とレストランの座敷で一杯。師匠は、前回来たときは元気だったんだけどねェと、やはり少しお疲れ気味のようです。好きなものを頼んで、と言われ「茹で落花生、どうですか」と聞くと「いいね、ここに来ると楽しみにしてる」と少し喜んでくれたので、こちらも嬉しくなる。板わさやタコのから揚げなどをつまみながら、伊豆高原ビールを数杯飲み干す。

帰り道、師匠と大仁駅までの夜道を歩きながら話を聞く。この会もここまで長く続けてもらえるとは思わなかった、楽輔兄さん・扇遊兄さん・喜多八さんと始めて、有難いね、芸人も「面白い」人と「上手い」人みたいな分類があって、一門だとあいつは「面白い」、あの子は「上手い」の方かね、お客さんの求めるものがあるからね、お前は「上手い」の方を求められることが多いんじゃないの、等々。大仁駅に着くと、駅のホームの水道で顔を洗う師匠。さっきお湯、入ったばかりですけど。

伊豆箱根鉄道で三島駅まで戻り乗換え改札を抜けると、師匠が、あ、一本前の「ひかり」に乗れるかもね、と少し早歩きになりながら、なんだろうね、昔の人はなるべく一本早いのに乗りたがったね、柳橋先生(六代目)も一本早い新幹線に乗れると「一本早いぞォー」(柳橋先生の口調で)とか言って、やたら喜んでたね、年取ると一本早いのに乗りたくなるね、なんだろうね、と言いながら、新幹線の改札を抜けると、ちょうどホームに入ってきた「ひかり」にそのまま乗り込みます。

車内は季節柄やはり混んでいて、自由席を探して車両を渡り歩くと、通路を挟んでちょうど二つ開いていたので、「普段のこの時間の”ひかり”だったら、もっと空いてるんだけどね」と言いながら、そこに決めました。

車内販売の缶ビールをちびりとやりながら、『鰻屋』を覚えました、『肥がめ』を覚えましたといった落語の噺をしているうちに、あっという間に新横浜に。「途中下車で申し訳ありません」とお詫びし、師匠よりも先に下車しお見送りしました。